👣 井戸再掘まで足跡👣

👣 井戸再掘まで足跡👣

「高津宮には井戸があったんや」

2018.9.某日

あきんど祭りの宣伝チラシ撒きのため、週に2回は夕方から高津神社の社務所に訪れていた。応接室に集まった数名で、チラシにスーパーボールすくい・輪投げが小学生以下は無料になるサービス券をホッチキスで留めていく。あきんど祭りとは、2017年11月から盛和塾大阪が高津宮の協力を得て企画開催しはじめた秋祭りだ。

高津宮の小谷宮司と盛和塾の三島世話人は、もう昔からの飲み仲間のようになっていた。あきんど祭りの運営メンバーが、応接室でチラシの準備を始めると小谷宮司が、お茶とお菓子をよく差し入れてくれた。時には、お茶ではなくてビールを差し入れてくれ、

チラシのホッチキス留めがひどく長引くときもあった。真面目な人が多い盛和塾のメンバーに対し、宮司は「まあ、なるようになるよ」といつもそんな言葉をかけてくれていた。

その日は、お茶とおかき、それからどら焼きを呼ばれながら、社務所でホッチキスを打っているとき、宮司が窓の外を指差して、

「その榊が植えてあるところに昔、井戸があったんですよ」

社務所の2メートルくらい前に竹の囲いがあり、そこに高さ3メートルくらいの榊が植わっていた。

「昔、地震があって、あそこの地面が陥没して、井戸の遺構・石垣が出てきたんですよ。江戸時代の絵図と見比べて、驚きました。絵図に書かれているその場所から遺構が出てきたんですよ」

そう言って宮司は奥から江戸時代に書かれた高津宮に絵図を見せてくれた。

「神社に水の流れがないのは良くないと思ってね。境内に小さな水槽を置いたりしてるんだけど、本当はね。井戸があるといいなだけどね」

この辺りから名水が出るとされ、大阪谷町近辺の井戸や湧水は、かつては七名水とよばれたそうだ。高津宮の井戸も梅之井と呼ばれたそうだが、今は記念碑が建つのみで、どこに井戸があったのかもわからなくなっていた。

なんとかそれ再掘したいですよねぇ、それって難しいですかねぇ。

高津宮は小高い丘に建っており、そこに井戸を掘るのはずいぶん費用がかかりそうだし、なかなか難しいよねぇと、とりとめもなく話し、お茶を飲み終えると話は切り上げられた。

​注)江戸時代に描かれた高津宮。上町台地の小高い丘に建っている。本殿、参道、絵馬殿、縁切り坂、今と全く変わらない。境内の真ん中やや右にある小屋の場所から井戸の遺構が見つかった。これは小屋ではなく、井戸だったのだ。

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