江戸時代の高津神社。絵図の中に、

井戸も描かれている。今から20年ほど前、地震でこの場所から井戸の遺構が出てきた。かつて高津宮からは、名水と名高い水が湧き出ていたという。

 

しかし、いつしか井戸は埋められていた。

高津神社は、千年以上も前から、人々に愛されてきた大阪の名宮だ。第16代天皇 仁徳天皇が大阪の地に水路をひき、この地に人の賑わいを作り出した。高津神社は、この仁徳天皇をお祀りする。元々、同宮は、現在の大阪城の場所にあった。大阪城ができるとき、太閤 秀吉の支援もうけ、今の地に高津宮はできた。爾来、高津神社は、「高津さん」と呼ばれ、人々から長く愛されていた。古典落語にも、高津宮は何度も登場する。《♫ 古典落語 高津の富

江戸時代、ここに名水と名高い井戸があった。高津宮は梅ノ木の囲まれていることから、井戸は、「梅之井」と呼ばれた。しかし、今は井戸は失われている。地下鉄を作ったときに水が枯れたとか、忌まわしいことがあったから埋められたのだと言われているが、理由はいまいち定かではない。兎にも角、井戸端に集うかつての人の賑わいが、今はここにはない。

高津神社の小谷宮司は言う「高津宮に水がないのは良くない」

大阪に水を引き、人の賑わいを作った仁徳天皇を祀る高津宮の井戸が枯れている。それはまずいんじゃないか?

なんとか、この地に「井戸と人の賑わい」を取り戻せないだろうか?

「水と賑わいがないのは寂しい」

「みんなに愛される井戸をみんなで掘ろう

小谷宮司の思いに賛同した面々が、よし!それなら井戸を再掘しようとなった。そこで、どうしたら掘れるのか、専門業者を探して聞いてみた。高台にある高津神社に井戸を掘ろうとすれば、すごい費用がかかることがわかった。しかも、高額の費用とかけても掘れる井戸は、ただ水が出るだけで、全然、素敵ではないものだった。そんな井戸では、皆に愛され、そこに賑わいなんかが生まれるとは思えなかった。そこで主要メンバーの一人 水道屋の斎藤さんが考えた、

昔の人は、どうやって掘ったんだろうか?お金があるわけじゃないし、町のいたるところにあった井戸は、住人たちが自分たちで掘ったはずだ。斎藤さんは、執念で江戸時代の人々が用いた伝統工法「大坂堀り」「上総堀り」を見つけ出した。それは、人々が力を合わせることで掘り起こせるやり方だった。斎藤さんは、その伝統工法を現代風に蘇らせ、それを「高津堀り」と名付けた。この高津堀りなら、みんなで力を合わせれば、井戸を掘り起こせる。そして、みんなで掘った井戸は、みんなに愛される井戸になっていくのではないだろうか?そして、時が経ち、その井戸は、かつてお父さんが掘った井戸、おじいちゃんが掘った井戸になっていくのではないだろうか?

「南海トラフ地震と防災井戸

​これから30年の間に高い確率で大阪の地には、大地震〈南海トラフ地震〉が来るという。そして、大阪の街は津波にのまれる可能性が高いのだそうだ。高津宮は高台にある。高津宮が1000年以上もこの地にあるのは、高台にあることも無関係ではないだろう。

政府は、大地震に備え、生活用水を確保できる〈防災井戸〉を掘るように推進している。

​この井戸は、地震の際、生活用水として活用される。そして、井戸掘りと井戸端で出来上がったコミュニティは、大災害の際、な何よりも私たちを救ってくれるに違いない。〈大阪市 防災井戸〉

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